忘れようとしても、思い出せない。
確か、バカボンのパパのセリフだったと思います。
赤塚不二夫さんは天才です。
天才バカボンは、全巻持ってました。後半は左手で書いたり、めちゃくちゃでしたが。
姉の友人に、赤塚不二夫さんのアシスタントをしていて、先生のご自宅へ伺ったことがあります(姉が、です)。
全く予想通りで、ビデオカメラ片手に玄関に来たそうです。
挨拶からずっと撮影していたそうで、その当時、ビデオ撮影にはまっていたようです。
先生が病気になって、マスコミ取材内容がTVで放映されているのを見ました。
お酒はやめないのか?
仕事があるからやめられない。
と、答えていたと思います。
あ~。忘れようとしても思い出せない。
シーンは覚えているのですが。
漫画、アニメ、今は、日本の文化として市民権を獲得しましたね。
昨年のレコード大賞はアニメソングですから、そんな時代がくるとは思ってもいませんでした。
忘れようとしても思出せない、って。どうしたら思いつくんでしょうか?
忘れたいことはたくさんあるし、思い出したいこともたくさんあるけど。そんなの関係ねぇ、ってことでしょうか?
現実逃避の隠遁的生活
中学の国語の先生が、松尾芭蕉の句について、このような表現をしていました。
これは、響きました。
松尾芭蕉の句が、そういう表現だったということは、まったく興味がなく、現実逃避の隠遁的生活、という言葉に共感をしました。
父がそうでした。
父は、第二次世界大戦中、大家族で、兄たちが皆出征していくのを見て、また、当時の国の思想に影響されていたのか、しらんけど、志願兵でした。
満州にいき、敗戦後、しばらくしてからヒョッコリ帰ってきたそうです。
実家は商売をしていて、それなりの土地があったので、本家の裏に、小さな家を自分で建てて住んでいたそうです。自分で建てたそうです。
戦後復興の波に乗らず、本家の商売は、叔母が婿様をとり継ぎ、父は、現実逃避の隠遁的生活を送る。
サックスを吹き、浅草でバンド活動、ウエイターとしてシェーカーを振り、消防団に入り、某超大手国産車メーカーの系列に入って、その後、借金地獄に陥ります。
ボクが小学生の高学年の時、母は一生懸命、借金を返済していたのと、息子に借金を継がさないように、離婚をしました。
そのあとの父は、戦後の復興やバブル経済とは無縁で、現実逃避の隠遁生活をおくっていました。
忘れようとしても思い出せない。
ばかりか、鮮明に覚えています。
中学の国語の先生は、時折、ドキっとするうなことを言っていたという感覚だけは残っています。
先生が素晴らしかったのかどうかはわかりません、おそらく、題材である文学が素晴らしかったのだと思います。
それで、ボクが文化人に目覚めることはなく、もっぱら漫画にはまっていました。
エースをねらえ、ベルサイユのばら、地球へ、11人いる、ポーの一族、あしたのジョー、巨人の星などなど。
思い出します。
で、忘れたいこと、思い出したいこと、忘れようと思い出せないこと。
お酒を飲むと大体そうです。